日頃パソコンを使っていて、調べた内容などをメモ代わりに載せています。
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ロータリーエンジンの歴史
ロータリーエンジンの回を放送したプロジェクトXを見てみました。

ロータリーエンジン開発の話から、ルマン出場の話、レネシスと
計3回放送されました。
1つの製品を取り扱った物では一番回数が多いのではないでしょうか。
まぁやらせ等の話があるプロジェクトXですが、
大筋は間違っていないはずなので。
細かい話はWikipediaを参考にしています。


1960年代に外国車輸入自由化で
国内の自動車メーカーが統合される危機に
当時三輪自動車メーカーだった東洋工業(現 MAZDA)が
生き残りをかけて切り札として開発されたロータリーエンジン
しかし、過去200年にわたり研究が行われていても
実現できなかったエンジン。

旧西ドイツのNSUが試験開発した物を元に作られましたが
元の試作エンジンは、激しい振動、白煙、ローターハウジング内が削れ、
40時間で停止してしまうと言うとても実用に使えないエンジンでした。
それを技術者が1つ1つ問題点を潰して実用化させ
市販車として売りに出されたのが、コスモスポーツという車でした。

当時のレシプロエンジンは高速走行では、振動と騒音がひどかったのに対し
コスモスポーツ搭載のロータリーエンジンは静かで
モーターのようであると評されたようです。

世界中に売れたロータリーエンジン車ですが、
襲ったのはオイルショック。
レシプロエンジンに比べ、まだまだ燃費の悪かったロータリーエンジン
消費者から嫌われ、売り上げがいっぺんに落ちました。


そこで立ち上げられたのが、「フェニックス計画」という
ロータリーエンジン復活計画です。
燃費を40%向上させるという大胆な計画をたてて、
新たに開発されたエンジンを搭載したのが、RX-7。
燃料食いの汚名を返上し、再び人気に。
後期型は今でも町で時々見かけますね。

さらに、ロータリーエンジンの成果を示すべく、
挑戦したのがルマン24への参加。
最初はMAZDAの賛同が得られず、個人が参加していたようですが
最後にはMAZDAの協力を得て、プロジェクトチームが結成され
生み出されたのが787Bというレーシングカー。

そして1991年に改良型787Bが見事総合優勝に。
日本メーカー唯一のルマン制覇という快挙ですね。


しかし、時はバブル。
バブル崩壊と共にMAZDAは経営危機に陥り、
会社経営はフォードに委ねられました。
経営再建が敢行される中、
ロータリーエンジンの開発チームは大幅に縮小されました。

それでもロータリーの火を消すわけにはいかないと、
経営陣に認められない業務外の開発を極秘裏に続け
サイドポート排気を実現させ、ターボチャージャー無しでも、
より大きなトルクを発生させることができ、
さらなる燃費の向上を果たしました。

スポーツカーが売れない時代に経営陣に求められたのは
4人乗りスポーツカー。

そこでさらに、アペックスシールの改良により出力の向上を図り、
レネシスエンジンと名付けられたエンジンは、
4人乗りスポーツカーを実現させました。

車体もロータリーエンジンの小ささを生かし、
エンジンを運転席ぎりぎりまで持ってくることで、
前後重量比50:50を確保しました。

スポーツカーの4人乗りというと扉は2枚というのが多いですが
アルミ製観音開きの扉を取り付けることで
重量増を最小限に抑え、なおかつ乗り降りのしやすさを実現。

こうして4人載れるスポーツカーとして世に出たのがRX-8。


こうやってみていくとロータリーエンジンの浮き沈みは
会社の浮き沈みと関わっている
まさにMAZDAの魂とも呼べるエンジンですね。

世界中で他にロータリーエンジンを作っているメーカーはありません。
しかも長い歴史を持ち多くのメーカーで日々開発されている
レシプロエンジンに比べロータリーエンジンはMAZDA1社だけが
開発・生産を続けています。

その開発には幾多の困難を乗り越えた歴史があります。
改めてすごいなと思います。
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テーマ:ロータリーエンジン - ジャンル:車・バイク

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